体感したことを整理・分析・法則化するブログ

関西在住の高田純次系リーマンが、しがない日常を整理・分析・法則化するブログです。

【スポンサーリンク】

さよならシャープ本社 〜シャープの本社のある街で僕は育った〜

【スポンサーリンク】

シャープの本社家屋が売却されて、
 
ニトリとマンションになるらしい。
 
閑静な住宅街の中に突如現れる
 
のっぺりとした高さの、
 
けれどあきらかに他とは違う広さをもった建物は、
 
僕にとって「当たり前の風景」だった。
 
その風景が消えゆく。
 
それはある意味、当たり前なんだろうけど。
 
 
電車が大好きだった僕は、
 
幼い頃、
 
母に連れられて、
 
南港通りと阪和戦が交差する、通称「開かずの踏切」に
 
よく電車を見に行った。
 
 
水色の103系、
 
ホワイトにスカイブルーの113系快速、
 
ベージュに赤の381系特急くろしお、
 
 
踏切の警報機が鳴るたびに、
 
「次はどんな車両が通るのだろう」
 
と胸をワクワクさせていた。
 
 
そんな僕が、いつものように列車を見にいってるとき、
 
ふと、「開かずの踏切」を越えた先にある長池のそばに立つ、
 
広大な茶色い建物に気づいた。
 
 
閑静な住宅街のなかに突如現れる建物は、
 
幼い僕の目には異様な光景に映った。
 
そばにいたなんでも知っている母親に
 
「あれなに?」
 
と聞いた。
 
 
「シャープっていう会社の本社やで」
 
「シャープ?」
 
「そう。シャーペンはこの会社が作ってんで」
 
「そうなん?じゃあみんなシャーペンかうときはここにくるん?」
 
「そんなんせんでも文房具屋で売ってるやん 笑」
 
「じゃあ、ほんしゃってなに?」
 
「偉い人たちがいるとこやで」
 
「そうなん!えらいってどんなくらいえらいん?」
 
「アメリカからわざわざここにきはる人がいるくらいやで」
 
「ふーん」
 
 
幼稚園から小学校6年生まで通っていた習字教室は、
 
同じく南港通りに面した早川福祉会館で開講されていた。
 
幼い僕は、
 
「早川って誰?」
 
程度にしか思わなかったが、
 
成長し、早川福祉会館の早川は、シャープ創業者の早川徳次氏の早川であること。
 
また、早川福祉会館は、その早川徳次氏の寄付で建てられた建物だと知ったときは、
 
「社長ってすごい」
 
って感動した。
 
 
サッカーをしていた僕の、
 
憧れのベッカムのユニフォームの胸には、
 
僕が住んでいる街に本社がある「SHARP」の文字が記されていた。
 
 
僕らの街にJリーグのチームが来たときに、
 
そのド派手なピンクのユニフォームのそのチームは、
 
ヤンマー、日本ハムカプコンがスポンサーだった。
 
「いつかはシャープもスポンサーになるやろなぁ」
 
熱心に応援していた友人の父はそう言っていた
 
 
大学生の頃、
 
京都の大学から終電で西田辺駅に下車し、
 
自宅に帰る道すがら、
 
シャープ本社の横を通ると、
 
まだ電気が点いているフロアが何個かあった。
 
「まだ頑張ってはるんだなぁ」
 
と僕は思った。
 
横にいる泥酔した悪友は、
 
「ふしだらなことが起こっている!」と
 
力説していた。
 
 
地元の友人と西田辺近辺の居酒屋で飲むと、
 
サラリーマンの集団が気持ち良く酔っ払っている光景をよく目にした。
 
当時大学生だった僕は、
 
たった数時間のあいだに、
 
ときに大笑いし、
 
ときに愚痴をこぼし、
 
たまに喧嘩する。
 
そんな人たちをみて、
 
「大人って大変だなぁ」と他人事として考えていた。
 
 
通学のため、
 
最寄駅の鶴ヶ丘駅で天王寺行きの満員電車に乗ると、
 
次の南田辺駅で、
 
大量の高校生と、そこそこの数のスーツ姿の大人が降りていく。
 
僕は、椅子に座っている人で、南田辺駅で降りる人の顔を覚え、
 
毎日その人の前に立てるよう、見知らぬ人と席取り予約合戦を繰り広げた。
 
 
天王寺にあべのハルカスが出来たとき、
 
シャープの本社が西田辺から移転する
 
という噂が流れた。
 
けど、ハルカスが開業しても、
 
変わらず、シャープの本社はそこにあった。
 
 
 
そんなシャープ本社が僕の街からなくなる。
 
見慣れた風景がまた変わっていく。
 
止める権利は誰にもない。
 
さよならシャープ本社。
 
姿は消えても、僕の思い出のなかでは永遠に。